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2024.05.30

おうちでできるモンテッソーリ教育

Category 海外の教育

Tags 幼児教育幼稚園子供レッジョ・エミリア子ども

最近日本でも注目されているオルタナティヴ教育。「代替教育」とも言われますが、簡単に言うと下記のようなことです。

オルタナティヴ教育とは、「非伝統的な教育」や「教育選択肢」とも言い、主流または伝統とは異なる教授・学習方法を意味する。

教育選択肢には、公立校、私立校、無認可校(営利・非営利)、ホームスクールなど多岐に渡っているが、大部分が少人数クラス、教師と生徒との近しい関係、コミュニティー意識の三点に重きを置いている。(Wikipedia)

シュタイナーやモンテッソーリ、レッジョ・エミリアもそれに当たります。しかし、これらの教育法に興味は持っても、日本国内でそれを採用している幼稚園を探すのは一苦労。ましてや家の近くにある確率は低いので、行きたくても通学時間の長さで諦めるケースが多いと思います。しかし、おうちの家庭教育でもその教育メソッドを取り入れることは可能です。

そこで今日は、先日のブログ「世界で一番有名な日本の幼稚園はモンテッソーリ教育だった」でご紹介した「ふじようちえん」の本から、おうちでできるモンテッソーリ教育をピックアップしてみました。

日常生活でできるモンテッソーリ

モンテッソーリは下記の5つの分野に分かれるので、それぞれで家庭でできることを見ていきましょう。

①出発点となるのは「日常生活の練習」

これは、モンテッソーリ教育が他の知育や早期教育と最も異なる点と言えるでしょう。着替える、靴をはく、並べる、そろえる、切る・・・・など文字通り普通の日常生活の基本的な動作を、体と脳とを連動させ、思った通りにできるようになることを目標としています。

大人を真似をしたがる2,3才から、おうちで家事のお手伝いをさせるというのは大事かもしれません。子供がやると、大人の何十倍も時間がかかるので、時間のないママからしたら忍耐力がかなり必要なプロセスになりますが、子供の成長には大切なので是非やってみたいですね。

②重要な土台の「感覚教育」

モンテッソーリ教育では、”「感覚教育」こそが全ての教育の基礎である”と考えるそうです。

見る、触る、聞く、かぐ、味わうなど五感をフルに働かせることで、この世界の情報を脳に取り入れることができるといいます。

日常に触れるモノの「サイズ」や「色」や「重さ」を、子供たちが自ら発見できるような仕掛けを作ってみるのもいいでしょう。モンテッソーリは専用の玩具なども豊富にあるので、何をしたらいいか分からないママでも簡単に試してみることができます。

③日常から学ぶ「言語教育」「算数教育」

モンテッソーリでも言語教育は重要ですが、くもんなどで学ぶような「あいうえお」を覚えて書いたり、計算させたりというような勉強の仕方ではありません。むしろ日常から自然に学ぶのがモンテッソーリ流です。

例えばふじようちえんでは、新しい歌をみんなで歌う時は歌詞カードを教室に貼ったり、劇の発表会に向けてみんなでセリフを覚えたり、みんなで数を数えるような遊びを取り入れたり。勉強ではなく、日常の遊びの一環で学ぶことが大事なようです。

④四季を学ぶ「文化教育」

モンテッソーリでも重要視している「本物に触れる」ことと「五感で感じる」こと。これを通して文化を学べるように、ふじようちえんでは、園内に畑を設けて、春にはいちご、夏にはトウモロコシ、秋にはお米を収穫するという作業を種植えから一環して園児たちと体験しているそうです。
日本では子供の農業体験の大切さんは昔から言われています。週末に農業体験ができる施設も郊外に増えてきているので、週末のお出かけ先に選んでみてはいかがでしょうか?

モンテッソーリ、おうちで気軽に試せそうですね。是非皆さんもやってみてください。

Yoshimi Ueda // Tokyo

上田佳美/東京

上田 佳美
慶應義塾大学卒業。20代でウォルト・ディズニー・ジャパンに入社。モバイルコンテンツのプロデューサーとして従事し、ディズニーの “最高のモノづくり”、”最高のチームを作る ” 文化に多くを学ぶ。その後映画業界で、世界で認められる日本人のクリエイター達と出会い、日本人の創造性に興味を持つ。2016年レッジョ・エミリアのアプローチと出会い衝撃を受け、サマースクールなどの開催を経て、2019年東京・中目黒に本格的なレッジョ・アプローチを目指すKodomo Edu International Schoolを創設。

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