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2024.05.31

やっぱり子供は幼稚園から英語を勉強するべき理由

Category 子供の英語教育

Tags 幼児教育幼稚園子供英語育脳勉強幼児期

恐ろしい日本人の英語力の低さ

 

世界最大の国別英語能力指数レポートを発表しているスウェーデンの留学・語学教育機関「EF Education First(イー・エフ・エデュケーション・ファースト)」の調べでは、2016年時点での日本人の英語力は、世界35位。昨年の30位から5位下がり、調査開始からの6年間で英語能力が低下していることが明らかになっています。

さらにアジア諸国の中では、1位が「シンガポール」、2位は「マレーシア」、3位は「フィリピン」、4位が「インド」、5位は「韓国」、6位は「香港」、7位の「台湾」に続いてようやく8位に「日本」が入っています。OECD(経済協力開発機構)が進めている国際的な学習到達度に関する調査(PISA)では、2015年時点での日本の15歳児の学力(①読解力、②数学理解力、③科学理解力)の平均は、日本の英語力を抜くこれらアジア諸国よりも、ずっと高い数値を出しています。つまり日本だけが、学力レベルが高いにも関わらずなぜか英語力だけ他国よりも非常に低いのです。

海外では幼児期から英語の勉強をやっている

 

国別英語能力指数をレポートしたスウェーデンの教育機関「EF Education First」の教育部門常務取締役兼ケンブリッジ大学 EF 研究チーム責任者のDr. クリストファー・マコーミックは、高い英語力を出した国についてこう述べています。

「非常に高い英語能力を誇る北欧では、子供が小さいうちから英語学習を始める。また、アニメが吹き替えではなく英語のまま放映されるなど、子供が日常的に英語に触れる機会がある。これらの国では多言語の文化が浸透しており、英語は国民性(母語)への脅威となる存在ではない。」

また、この国別英語能力指数では日本より下の順位に「タイ」が入っています。数値としては英語力が日本より低いことになっていますが、大学までの高等教育を受けたタイ人だけを見てみると、英語力は日本人より圧倒的に高いです。私が大学時代にタイの大学とインゼミで交流した際も、ほぼ100%の学生が英語でのプレゼンテーションやディベートも難なくこなし、日本のトップの大学の学生を上回る英語力を見せつけていました。彼らに聞くと、やはり3歳頃から週1、2回のネイティブスピーカーの先生による英語の授業を受けるのが一般的とのことでした。

日本の子供たちの教育を私たち親が変えていく必要性

 

世界各国では、幼少期からの英語学習の必要性が認識され、それがちゃんと実践されています。それにも関わらず日本では、2011年度に小学5年生から英語が必修となり、2020年度にようやく小学3年生から必修化が完全実施されます。しかし、小学校3年生からでは全く遅いのです。この事実を知ってから我が家では、ディズニーやジブリなどの子供が大好きなDVDは、英語音声だけでしか見せていません。子供は「英語やだ!日本語にして!」と文句を言いますが、「おかしいな〜、テレビ壊れちゃって英語しか出ない。」とトボけていると、見れないよりはマシということで、しぶしぶでも英語音声で見ています。バイリンガルでも帰国子女でもない純ジャパ夫婦にとっては、まずこれが簡単にできる幼児英語教育ではないかと信じ(笑)、実践しています。

日本が他国に負けない英語力を目指すためには、子供の幼少期からの英語学習は欠かせません。日本は失われた20年と言われ、経済成長をしていたのは一世代前の昔話。私たち親世代の多くは不況しか体験していません。経済活性化のためには我が国の国際化は急務です。今の日本を変えたいのであれば、国が定めた学校教育を頼りにせず、私たち親が賢く子供に今必要なのものを選ぶことが求められます。

Yoshimi Ueda // TOKYO

上田佳美/東京

上田 佳美
慶應義塾大学卒業。20代でウォルト・ディズニー・ジャパンに入社。モバイルコンテンツのプロデューサーとして従事し、ディズニーの “最高のモノづくり”、”最高のチームを作る ” 文化に多くを学ぶ。その後映画業界で、世界で認められる日本人のクリエイター達と出会い、日本人の創造性に興味を持つ。2016年レッジョ・エミリアのアプローチと出会い衝撃を受け、サマースクールなどの開催を経て、2019年東京・中目黒に本格的なレッジョ・アプローチを目指すKodomo Edu International Schoolを創設。

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